まぁ、残念な話やが、じいさんが入院した。
いいじいさんで好きだった。
肺炎で肺水腫みたいだ。
人間いつまでもは生きららん。
もう95やしな。痴呆で俺の顔もわからん。
取り合えず病院いってしばらく横にすわっていろいろ話しかけてみる。(当然意識ないから心のなかでね。)
本人もそうだが、この病院自体がそゆ専門施設やから、全体的に「訃」が薫る。しかも濃い。
ちょと今回は難しいみたい。
どうやら俺のなかでは長い痴呆期間もあり、落ち着いた対応できるようだ。ばあちゃんはずっと泣いて落ち込んでるみたい。
帰りにばあちゃんとこに豆匠の松花堂弁当差し入れ持っていく。
ちゃんと食べろよと。
このばあちゃんと縁があってじいさんは幸せだったんやろうな。
平等にばあちゃんも90超えやからな。介護で疲れさすわけにゃあかんから。わりーな。仕方ない。
どうにもこんなゆっくりした訃霞は静かで重い。ひんやり不思議に肌触りは良いような玄妙な風情。
こんなとき当然、人は自分の順番を考える。
おれはどんなmeanとgeneを残すのか?
命は果実だと。カバラの木が思い出される。