合理性の向こう側

アメリケーヌソースを作れ、とか言われると面倒なだけで丁寧にしっかり作るとおいしいのができる。簡単だ。

だが、蕎麦を打てとか、鰻を焼けとか言われると難しい。簡単なようでコツがいるからだ。

死んだ爺さんが作ってたジャガイモの出来損ないの小さいやつを山椒田楽にしたやつを再現しようとしてるのだがなかなか難しい。似て非。

こーゆー年寄りの料理って、『水を2回に分けて入れる』とか『ここでいったん置いて休ませてからもう一回火を入れる』とかゆう良くわからん合理性の向こう側のコツがあったりする。

ゼロのように故人の人生をなぞり、当時手に入った食材や調味料を推察しながら少しずつプロファイルして近づいていく。もう何年も研究してるけどまずまず近づいてきた。若い時の舌の記憶は褪せない。

生きてるうちに聞いておくべきだった。。

母方の爺さんの家の「鳥のホルモン焼き」ももう10年以上トライしてるがまだ至ってない。温故知新の俺の趣味だ。